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2008年6月18日 (水)

戦士の休息

男はだれもみな 孤独な戦士~

ああ懐かしい。ジョー山中が歌った。戦士の休息の一節。これは、「野生の証明」という映画の主題歌だった。高倉健が主演で、薬師丸ひろこのデビュー作。薬師丸ひろこかわいかったなあ。わしは高校生で、高倉健にすっかりしびれ、その後しばらく、「自分は~」と言っていた。さらに、高倉健は、タートルネックというか、ハイネックの黒いシャツを着ていて、これが格好良かった。その影響で、そういうシャツは今でもすきなのだ。

というように、今日は半分休み。休まんといけません。そんでブログでも書いている。

明日は夜中に還元焼成2連発。二子新地で夜9時から2時まで還元焼成やって、その後夜中の3時から朝の8時まで大倉山の窯で還元。ガス吸いすぎで、ますますあほになるなあ。

それに備えて、今日はゆったりすごすのだ。しかし、わしは戦士かね。何と戦っているのかな。

そういえば、来週から始まる土丸展だけど、考えてみたら自分の作品がない。こりゃいかん。仕方ないので、現在進行中の油滴天目の茶碗でも出しておこう。

油滴天目って、ブログに書いたかな。それも忘れてしまった。あったまてっかて~かだな。

とりあえず、何ヶ月か前に、書いたような気もする。いろいろ調べて、焼き方も工夫して、なんとか、まあ一応油滴ですなあというようなものはできるようになった。

生徒の作品も、そそのかして、かなり焼いた。たまにすばらしいのができるけど、確実とは言えない。せめて成功率60~70%くらいにしたい。

釉薬の濃度というか、作品に乗せる厚さが難しくて、以前から、これなんとかならんかなあと思っていた。釉薬の量が最適だと、きれいに焼けるけど、厚すぎても薄すぎてもうまくいかない。

なんか針のようなものを、釉薬をかけた上からさして、その厚みが測れる機械ないかしら、あるかもしれんけど、高いだろうしなあ。でもそれがあると、釉薬がけでの失敗が激減するなあ。今は、濃い目とか厚めにかけようと言ったり、3秒つけようとか、5秒つけようとか言っているのが、厚さ2ミリで、とかより具体的に変わる。釉薬の厚さ2ミリの場合の発色は、このようになり、1ミリだとこう。というように表せる。

ちょっと真剣に考えてみるか。ああ、いかん今日は休息をとらねば、考えてはいかんのだった。休み休み。

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2008年6月17日 (火)

愛の酸化

いよいよ来週から土丸展が始まる。そのせいで、各教室の窯たきもスクランブルだ。

窯は、うちの教室では酸化で1240~1245度で焼く。焼成は約15時間。だけど、冷めて窯から出せるようになるまで2日かかるので、来週までにはあと2回本焼きができる。

というか、2回本焼きをするために、大倉山の教室の窯、いつものローテーションをくずして、ゆうべ教室が終わってから酸化焼成をすることにした。

昨日は、そこそこ忙しく、教室のあとは夕方から、スタッフの有志が集まって、研究会というのもやった。お皿の作り方などを研究というか、探求した。

8時半ぐらいに、研究会も終わり、さあ、窯、窯、と思ったけど、素焼きが入っていて、まだ熱い。たまらん。

そこで、外にメシ食いにでかけ、ふらふら寄り道して、10時半に教室に帰還。まだ熱いけど、そうこう言ってられないので、汗かきながら素焼きを出し、酸化焼成の作品を詰めだした。

陶芸の本焼きには、大きく分けて酸化焼成と還元焼成がある。他にも冷却還元やら、炭化焼成やらあるけれど、うちの教室では酸化、還元両方やる。

陶芸教室の中では、酸化焼成しかやらない、もしくはできないところもある。酸化焼成というのは、酸素を十分供給しながら焼く焼き方で、言ってみれば電気窯でヒーター線でどんどん温度を上げていけば、空気中に十分酸素があるので、酸化焼成になる。

酸化焼成は、わりとすっきりとした焼き味。それに対して、還元焼成は、うちでは930度くらいの温度から、ガスバーナーで、炎を窯の中に吹き込み、内部の酸素を使い倒し、酸欠状態にする。すると、作品の釉薬・土が変化を起こし、だいたい渋くなる。5時間ほど、炎を使う。けっこう面倒くさい。これは、木曜の夜中にやる予定。

そんでまあ、作品をどんどん詰めだした。今度の土丸展に出す作品が主体なので、あまり量はないので、はかどるはかどる。1時間もかからんなあと思って喜んでいた。

窯詰めも終盤にさしかかり、とある生徒さんの作品に手が止まった。小皿の上にビー玉が載せてある。それは良いんだけど・・ビー玉はガラスなので、小皿なんかに載せて焼くと、それが溶けて、底に広がり、ビー玉の色、水色とか緑とかきれいに出るのだ。

しかし、載せてあるビー玉は、なんというかくすんだ色のビー玉。ううむ。

ビー玉についても、いろいろと焼いてみて、いい感じで溶けるものと溶けないものがあるのがわかった。だいたいくすんだ色のものはだめね。あまりきれいじゃない。そこで、きれいに溶けるビー玉をわざわざ買ってきて、教室においてある。3色か4色あった。

しかし、この生徒さんは、自分で買ってきたビー玉を使おうとしている。3枚小皿があって、全部違う色を載せてある。作品についている紙を見ると、なるほど実験大好きの人だ。気持ちはわかるが、どうなるか目に見えている。

どうしよう、ううむ。と悩んで、小皿を持っていたら、ビー玉が小皿の上から転がり落ちた。

ああ!いかん!やめて!と思ったけど、時すでに遅し。ビー玉は窯の中に転がり落ちた。

呆然です。どこに落ちたかわからない。ひょっとしたら、一番底かも。したら、せっかく詰めたもの全部出さねばならない。

わしはあまりのショックに、教室の机に寝転んで、携帯電話でゲームなどしだした。現実逃避ですな。ゲームしながら、どうするか、考えたけど、どうにもならん、答えは決まっている。またやり直しだ。このやろー。でも、わしが悪いのね。

大汗かいて、せっかく詰めた窯から作品を出し、ビー玉を探し出した。幸いにも、一番底ではなく、2段目の作品がキャッチしてくれていた。ありがとう。ありがとう。

こうして、無事に酸化焼成がスタートした。よかったよかった。おしまい。どこが愛やねん。

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2008年6月14日 (土)

毎年恒例土丸展前の忙しさ

毎年毎年、恒例で、なんとかせねばと思いながらもなんともならない。

展示会の前というのは、けっこう忙しいものなのだ。

そうだ、告知をしておこう。土丸展は6月24日(火曜)の午後1時から、30日の日曜の夕方5時まで。大倉山記念館にて行います。最終日以外は夕方6時まで。ホームページの方も告知をせねばならない。そういえば、最近ぜんぜん更新してないなあ。せねばねば。

今回のブログは、まあ愚痴だな。けどまあ自分が悪いのだけど、忙しい時にいろんなことは重なるもんだ。

準備でわしが何が忙しいのかというと、作品配置の計画と机やら備品やらの手配。大倉山記念館は、横浜市のものなので、借りるのは手間と運が必要だけど、大変安い。

困るのは、陶芸なので、展示には机が必要で、記念館にはあまりないので、レンタルすることになる。そのレンタル代が、ギャラリー借りるよりより高くつく。とういうか、3倍くらいかかる。まあ、30脚も借りるから仕方ないけど。

そんで、わしは誰の作品をどこに配置するか、計画書を毎年作っている。ご苦労なことだが、性分だな。そんで、作品カードも作る。うちの展示会は、使った土や釉薬、酸化、還元など、書いて出す。他の生徒に参考になるようにという趣旨だな。

そんで、そういうことが気にかかっている日々に、織部釉の研究している。来週使うから、今日明日にもレシピを決めねばならない。今日、教室に行ったら、二度目のサンプルが焼けているから、それで決めてしまう。きめるったら決めるのだ。

さらに、馬鹿なことに、スタッフを集めてこの時期に研究会というのをはじめてしまった。というか始めることにした。いろんなつくり方を研究というか、わいわいいいながら、あーでもないこうでもないとやるんですな。楽しそうだけど、準備もいる。みんなには、作り方の参考テキストなどばっちり作ると宣言してしまった。

前に、誰かに言われたけれど、わしは自分で忙しくしている。なんかそうなる。やりたいことはいっぱいあって、いつもやりきれない。

わかっちゃいるけど、やめられないのだなあ。ああ、今日のはつまらんブログだなあ。いつもつまらんけど。今日のは特別ね。

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2008年6月 2日 (月)

器用と不器用

教室をやっていると、いろんな人が来る。いろんな人がいるなあと感心したり、面白いと感じることがままある。

そのひとつが、器用と不器用ということ。けっこう多くの人が、「わたしは不器用だから・・」みたいなことを言う。半分は謙遜にしても、半分は本当に自分でそう思っているみたいだ。

そういう人たちを安心させようというわけでもないけど、わしは不器用です。それもかなり不器用。

教室の生徒さんの中には、わしのことを器用だと思っている人がけっこういると思う。こうしなさいって言うと、先生は器用だから・・みたいに恨み節みたいに言われることがある。

わし、本当にもともとは不器用なんです。そういえば、富本憲吉も、ものすごい不器用だって何かで読んだことがあるなあ。わしは富本ではありませんけど。

子供のころ、工作とかで何かを作ろうとすると、うまくいったためしがない。しかも、道具や材料がちらばりまくり、不器用な上に、乱雑。母親から、お前は不器用な上に乱雑だとしこたま言われて、わしは「俺は不器用で乱雑なんだ。」と固く信じ込んでいた。

このあたり、スタッフの人たちはわかると思う。わしが何かテストをやったりする時は、ものすごく教室が乱雑になる。悪気はないんだけど、自然にそうなってしまう。一応、片付けはするけれど、元通りになることはないので、たいていはスタッフに迷惑をかけている。

それで別に深く考えることもなく、生きてきたわけだけど、一度器用と不器用ということについて考えたことがある。それをゆうべふと思い出した。そんで忘れないようにブログに書くのだ。長い前ふり、くどいわなあ。わしは、不器用で乱雑でしかもくどい。

かなり前、ハンマー投げの室伏がテレビで、自分のトレーニングについて話をしていた。あの人は、筋肉隆々で、ものすごいトレーニングをしてるんだろうと思っていたら、ちょっと違った。いわゆるバーベルを上げたりするウエイトトレーニングもやるけれど、それには重きを置いてないんだそうだ。ただ単にパワーを上げても、それで記録は伸びない。

それよりも、自分の頭で描いたイメージどおりに体が動いてくれるように、イメージと動作がうんまくシンクロするようなトレーニングをするのだという。ウエイトトレーニングは、動きが単純すぎ、一部の筋肉しか動かない。

これを見ていて、わしは、なるほどと思った。不器用な人というのは、頭で考えたイメージ通りに体、まあたいていは指とか手が動いてくれないということなのだ。器用な人というのは、これがほぼ思ったとおりに動く。

元々の素養はあるにしても、イメージどおりに手が動くかどうかというのは、訓練なのだ。なんでも慣れた人の手つきというは、無駄がなく、そして美しい。

じゃあどうすれば、不器用から抜け出せるのか?手に絞って言うと、手の指というのは、普通5本あって(豊臣秀吉なんて6本あったとか言う話もある)、それが独立して動いてくれる。これがそれぞれに意思どおりに動いてくれればよいのだ。不器用な人は、動いてくれない。

室伏のトレーニングが参考になる。室伏は、新聞紙を一枚、机の上に大きく広げて、その真ん中に片手の手のひらをぴたりと当てて、新聞を手のひらの中に丸め込むというトレーニングをしていた。

やってみてください。かなりきついよ。きつければ、新聞は半分でも良いと思う。これをやるとわかるけれど、指はそれぞれいろんな動きをしてくれる。目と指から入った情報が脳で処理され、どのように動けばよいか考えて、各指ががんばって別々に動く。

もちろん陶芸そのものも、よい訓練になる。指で確認しながら作っていくからな。うううん、今回はなんかいいこと書いたような気がするなあ、あいかわらずくどいけど。

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