« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »

2008年3月15日 (土)

銀河鉄道の夜

風邪を引いてしまった。月曜というか、日曜の夜、テレビの前で寝てしまい、朝起きたら風邪を引いていた。

月曜、そのまま教室に出て、風邪を引いたと言ったら、スタッフにおめでとうございますと言われてしまった。風邪引きたいと常々言っていたからな。

風邪を引くと、風邪だといって休めるので、風邪大好き。でもなかなかひけないので、くやしい思いをしていた。それがやっと引けたんだけど、実にタイミングが悪い。今週は忙しい。

それで休めず、風邪も治りきらず、ゆうべも窯たきで教室に泊まったりしていたら、今日は最悪。昼過ぎに、こりゃあ無理だと思って、「わし かえる。」と言って教室を放り出して家に帰ってきた。

昼からずっと寝ていて、さっき起きたら、けっこう調子が良い。もう治ったのかな。テレビをつけると、ニュースをやっている。寝台急行銀河がなくなるという。

ああ、銀河がなくなっちゃうのねと少し感慨にひたる。わしは鉄道ファンではないが、銀河は何度か乗ったことがある。

一番最初に乗ったのは、中学1年のとき。もう35年も前になるのか。そのときは、銀河は寝台車もあったが普通車両もあり、それに乗って、京都から東京に行ったのだ。

実は、その旅はけっこうたいそうなものだった。わしは中学のとき、信楽中学校の科学部というのに入っていた。小学校の時から警察署で剣道をやっていたが、中学校に剣道部がないので、じゃあ暇つぶしに科学部でも入ろうと思ったのだ。

その科学部、実は指導の先生がすごくて、わしが入った年は「モリアオガエルの生態研究」というのをやった。モリアオガエルというのは、木の上に卵を産むかえるですな。群馬だかどっかでは天然記念物になっている。それが信楽に住んでいるのだ。さすが田舎だ。

もともとカエルは好きだし、産卵時期など徹夜で池のほとりで観察したりして、大変楽しかった。そんで、その研究が表彰されて、その表彰式の為に、科学部全員東京ご招待されたのだ。たしか校長先生まで一緒だったと思う。わたしの記憶が確かならば、科学教育振興委員会賞というやつで、中学で日本3位にあたると聞いた。

冬だった。京都から銀河に乗った田舎もの中学生たちは興奮して寝られず、わしも当然寝られず、急行なのでけっこうあちこちの駅に止まる。止まるたびに、わしはホームを走りまくり、駅弁を買い求めた。たしかあの夜、駅弁5個ぐらい食ったような気がする。そのほかに名古屋駅では、きしめんを売っていて、ホームできしめん食ったのを覚えている。

校長先生があきれていた。校長先生は、京都で乗るときに、わしらに駅弁を差し入れてくれたが、その必要はなかったなあとか言っていた。それを含めての5個です。はい。

実は、銀河の思い出=駅弁 でそのほかに、明け方富士山の美しかったことをよく覚えている。

なんかしらんが朝に東京について、どこやらに寄ってから、会場がある新宿に行った。確か京王プラザホテルで、まだ高層ビルはほとんどなかった。

ホテルの会場につくと、全国から中学生どもが集まっている。そいつらが、なんかでっかい円卓に分かれて座っている。わしらは少し遅く着いたみたいだ。2組ほどに分けられて、他の中学生どもと同じ円卓についた。

円卓には、中華料理が置かれていた。エビチリというのですか。あれもあった。わしは当時まだ食ったことがなかった。とてつもなく豪華な料理に見えた。

演壇では、誰か偉い人が何かスピーチをしていたが、まったく聞いていない。それよりも気になっていたのは目の前のごちそうで、食っていいのかな?と思っていたら、先輩のひとりが、「中華料理は、食いたい人が食っていいんだ。ぐるぐる回るようになっているだろ、あれを回して、食いたいものをとるんだ。」とささやいた。

うひゃあと思って、さっそくめぼしいものをとって食いだした。なぜか他の中学生どもは手をださない。きっとおなかが空いていないのか、それとも緊張しているんだなと思って、ぐいぐい食い進む。エビチリ、おいしかったです。まだ覚えています。たまりません。

それで、わしらの円卓の食い物が信楽中学によってほぼ食い尽くされたころ、司会の人がこう言った。「それではお待たせしました。お料理をどうぞ。どうぞご歓談ください。」

わしらの円卓に座っていた他からきた中学生どもはすごい目でわしらをにらんでいた。そうかすまん。わしらが田舎ものだったのね。と思ったが、食ったものはどうしようもないわな。

というように、銀河鉄道の夜というタイトルとはまったく無縁の、また陶芸とはまたしてもまったく無縁のブログを書いて、風邪がなんか治ったのかどうかわからん夜をすごすのである。ああっと、わし宮沢賢治は大好きで、銀河鉄道の夜は20回以上読みましたけど、どうでもよいか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年3月 6日 (木)

年功序列

ゆうべ久しぶりに大学時代の友人から、飲もうというお誘いがあって新橋まで出かけた。

その友人とはけっこう会っているので、別にどうでもよかったが、卒業以来というか、めちゃくちゃ長いこと会っていない先輩が二人来るというので、懐かしくてでかけた。

一人は「健さん」 という。実家が富山で、現在も富山で仕事をしているが、何か用事があって東京に出てきたんだという。

健さんは、顔はおっかない先輩だった。でもマージャンの誘いは決して断らず、よくパチンコなども一緒に行った。

わしは、北海道大学の水産学部という、陶芸とはまるで関係のないとこを出ている。水産学部は、函館にあって、卒業して先輩を見送るのとかは、青函連絡船なのだ。これが実に風情があってすばらしい。

健さんの見送りはわしも行った。後輩の学生やら、わしもその中の一人だけど、見送りの中にいた。ところが驚いたことに、その見送りの団体の一部が、どう考えても学生ではない。それどころか、どうみてもかたぎではない人が何人かいて、健さんは、その人たちとも肩をたたいたり、握手をしたりしていた。

さすが健さんは違うなあ。すごいなあと素直に感心していた。

もう一人は、「松さん」という人で、マージャンやら競馬がなんかしらんけど、やたら強いというか、なかなか負けない人だった。たしか葛飾柴又出身じゃなかったかな。

松さんの予想はもっともらしく、その説得力のある予想にのって、おうまさんを何度か買ったが、ことごとくはずれた。ありゃ、そういえば学生さんは勝ち馬投票券買ってはいけないのだけど、時効だろう。

ところが、松さんはしっかり当たり馬券を持っているのだ。なんで??と思ったら、

「これは抑えだよ。ここを抑えとかなきゃあねえ。」とか真顔で言う。それなら、その抑えを教えてください。ひどいわひどいわ、という経験ばっかり。ゆうべも、それをほじくり返してなじったら、健さんと二人で、「抑えは教えられないんだよ。そういうものなんだよ。」とか逆に説教食らった。人生って、奥が深いわ。

後輩もいた。あっ!大山だと思ったら、踏んづけてしまった。まあ、後輩は踏んづけてよいのだ。そうだそうだ。

この先輩後輩というか、年功序列というのは実に面白い。わしの教室にも、実はわしの大学の大先輩が来ていて、何かと立てねばならない。その先輩は、もうかなりの年配者だが、先日その大先輩が、さらに先輩、なんと91歳の人に会ったのだと。したら、荷物持ちをさせられたんだと。まさか、あの歳になって、荷物持ちとは。人生って、何が起こるかわからないわ。

わしは年功序列。大好きなのだ。こんな平等なシステムは他にない。なんせ時間がたてば、自動的にえらくなっていく。そして、時間だけは、金持ちも貧乏人も、能力にかかわりなくまさに平等に過ぎていくのだ。

わしはいわゆる体育会系のクラブにずっといたので、そういうもんだと思っている。大学時代、笑ったのは、北大の応援団で、これは民主的だと自分たちでそう言っていた。何が民主的かと言うと、何かを決めるのは一応投票で決めるのだという。なんと一年生にも1票あるのだ。しかし、4年生は100票あるのだ。それで投票するのだという。なんと民主的な。

先輩にはへーこらし、後輩には威張りくさり、たいへん楽しい。

ゆうべも少し話していたが、何人かの先輩、特にM先輩とか、O先輩とかの名前で、「明日の朝、5時に○○に集合!」とか命令が下ったら、今でもそそくさと出かけていくであろう。そういうもんだな。

という感じで、楽しく過ごしたが、どうもおねえちゃんのいるお店方面に行きたそうなので、わしはさっさと帰ってきた。おねえちゃんのいるお店は苦手だ。面倒くさい。帰って寝るのだ。こういうおやぢもいるのだ。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »