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2008年2月28日 (木)

ダイエットしてます

お恥ずかしい話ですが、いい年こいて、しかもおやぢなのにダイエットしてます。

これはまあ、なんか言い訳してるみたいで、別に言い訳する必要もないんだけど、いい年したおやぢがダイエットなんて、なぜかモゴモゴしてしまうものなのです。含羞です。おおっ わしってかわいい?

去年の秋ごろ、家の近所の公園を走っていたことがありました。そんで、ひざがいたいとか書いてたら、歩くのが一番とかコメントもらったこともありましたなあ。

それで、ひざはずっと痛むのです。年末もひざが痛く、どうやら来たみたいだなあ。いつかこういう日がやってくると思っていたよとかひざに語りかけたりしていたのです。

わしは、関節はほとんど全部若い頃にやられてる。首と肩はラグビーでやられた。大学のときだから、ずいぶん前だけど、強烈なタックルをして首を痛めた。あのときのことは思い出してもぞっとするけど、しばらくギブスはめたりしていた。肩は、なんだろう。スクラム組んでたときかなあ。よくわからないけど、すっかり壊してしまい、学生時代いらいボールを投げられなくなった。全力投球が痛くてできないのです。

ひざは高校の時、走りすぎて壊した。ひじと手首はやはり、大学のとき剣道で素振りやりすぎて壊した。

どうもわしはやりすぎるのだ。壊してしまう。馬鹿だなあ。

それで、季節の変わり目など、時々関節のあちこちが痛む。ひざもそれくらいならばよいのだけれど、ずっと痛いままだ。

この歳で、ひざを壊したら大変だ。そのうちに人工関節なんぞいれるようになってしまっては大変なのだ。なぜなら、人工関節を入れると、痛みは取れるけど、人工関節自体は約10年ほどしかもたない。10年したら、取り替える必要があるけれど、取替えが効くのは1回だけ。そしてそれが10年としたら、合計20年。50歳で人工関節にしたら、70歳を越えると、歩けなくなってしまう。

果たして70まで生きるかどうかわからんけれど、これは困る。ひざがそもそも痛いのは、この体重を支えているからに違いない。そこで、体重を減らすことにしたのだ。本気です。

なんせわしは正月時点で94キロあった。もうすぐ100キロとか喜んでいられない。94キロの割には、太ってないとか自分では思っていたが、94は94。どうにもなりません。

そこで正月から、食事を少し減らし、万歩計を腰につけ、足にあまり負担にならない程度の負荷を足首につけ、せっせと歩いたりした。

現在、89キロを切って、88キロ台に入っている。約5~6キロやせた。ベルトの穴も2つ縮まった。

少し体重が減るペースが速すぎるので、ここんとこ少しおさえているぐらいだ。どうだどうだ。やるときゃやるのだよ。一ヶ月に2キロペースで落とそうと思っていたので、まあまあだな。

このままいくと、夏には80キロを切り、今年の年末には75キロほどになり、来年の年末には55キロになり、再来年には35キロになり、ささ来年には15キロになり、その先にはなくなってしまうではないか!そんなことはないか。

まあとりあえず80キロを切るまではせっせと続けようと思うのだ。継続は力なのだ。どうだ驚いたかと、別に驚かすのが目的ではないけれど、とりあえず威張ってみました。

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2008年2月20日 (水)

陶芸の表現2

陶芸の表現というのでブログを書いたら、コメントがいろいろついた。

人間、正直なもんで、うれしくなってまたそのたぐいのことを書きたくなってくる。そんで書くのだ。そうだそうだ。

鍋島の絵皿と宮川香山の壷のことを書いたのだけど、あれらはその作品だけを見ると、わしは、なんで???という疑問が沸いてくるのだが、その背景を考えると、なるほどと思うこともあるのだ。

鍋島の絵皿は官窯です。官窯というのは、鍋島藩のお抱えで、鍋島藩、もっというと藩主のために、存在したと思う。主な用途は、藩からの贈り物。そうなると、当然鍋島藩の面子にかけて、見事なものにしなければならない。誰が見てもわかるような見事さ。それでああなっていったのだろう。

それって、中国の官窯でもそうだし、薩摩藩の白薩摩でも同じことだと思う。

宮川香山の作品は、輸出のためであったのだろう。これは欧米の金持ちが買うのですな。すると、渋い、奥深いものより、なんといってもわかりやすい、人が驚くものの方がいいですな。すると、精緻なカニがくっつくということになる。

ものすごくおおざっぱに書いたけど、まあ本当はもっといろいろ理由があるのだろうけど、要約するとこんなことになるんじゃないかと思う。違っているかしら。

わしが好きな板谷波山はちょっと違って、どう考えても自分のため、あるいは自分が美しいと思うものを作ったのだと感じる。このあたり、わしが感じるだけなので、本当のところはわからない。

このあたりは微妙なのだ。

わしの陶芸教室あたりで、好きなものを作っている人でも、自分の好きなものを作っているのだけど、人にも見てもらいたい。それで、ほめられたりすると、すごくうれしくなってくる。

以前、偏壷を作ったことがあって、偏壷っていうのはまあお盆のようになっている壷で、特に教室でやったのはドーナツ型の偏壷。

この偏壷というのは、実用的に考えると、どうにも使いづらいと思う。生徒さんにも、これ、なんに使うのですか?とよく聞かれた。

わしは、「人に自慢するためです。」と答えた。こういうのを玄関やら床の間やらに置いておくと、人が来たら、「なんですか?これ」と聞いてくるわな。そこで、さりげなく、こういう形の壷なんです。ちょっと変わってるでしょ。面白いかなと思って、作ってみたんですけど。

とか答えてごらんなさい。おお!すごい!ということになって、気分がいいじゃないですか。そのために使うのです。と答えた。けっこう多数の人が納得していた。

なんか恒例のように話がずれてきたのだが、アートだのとかいろいろ考え、自分の好みも追求しながら、さりげなくもあざとくも、時に人に自慢するというのが楽しいんだなあ。

偏壷って、わしはあんまり美しいとは思えない。なんか、カニの壷の類だと思う。でも、作るのも楽しいし、人に見せて驚かすのも楽しい。実は宮川香山も、カニをくっつけて、そうやって楽しんでいたのかもしれない。

なんか、またタイトルと違った内容になったような。でも、これよいのだ。

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2008年2月13日 (水)

陶芸の表現

かなり以前に、わしの書いたブログについたコメントで、「陶芸の表現がよくわからない。」旨のコメントがついていて、よく考えてみると、実はわしもよくわからない。衝撃の告白だなあこれは。

まずよくわからないのが装飾。

最高にわからないのが、宮川香山あたりの作品で、宮川香山というのは、明治あたりに活躍した陶芸家で、超絶技巧の人。

宮川香山の作品を見ると、見事な壺に、めちゃくちゃリアルなカニがくっついたりしている。ものすごくインパクトがあるし、そのカニの見事さなんて、たまげるばかりだが、実はわしは、なんで壺にカニがくっついているのかよくわからない。

もう少し詳しく説明すると、カニは見事だが、壺にくっついている必然性がわからない。別に壺でなくてもいいんじゃないか?というか、カニだけでも良いんじゃないか?とか思う。

もっと衝撃の告白をすると、実は絵付けがよくわからない。

何がわからないかとうと、例えば鍋島藩で作られた絵皿。それはそれは見事で絢爛豪華。美しいことは美しいが、あの見事な絵が、皿に描かれていることがわからない。

紙でいいんじゃないか?とか、陶芸に携わるものとしてはあるまじきことを思ってしまう。皿に描かねばならない必然性がわからない。

皿に絵を描いたり、壺に何かをくっつけるのに必然性は必要か?というと、本当は必要じゃないと思う。面白そうだから、きれいになりそうだからという理由で十分で、みんなそうやって作ったり描いたりしたと思うけど、それが度を越すと、疑問がわいてくるのだ。度を超すというのは、絵が皿を圧倒してしまったり、カニが壺を支配していたりすることですね。

これはつまり、わしが宮川香山や鍋島の絵皿をあんまり好きでないからだろうと思う。

同じ絵でも、板谷波山の壺とか見ると、その美しさと完成度の高さに圧倒されてしまう。これは「美」だなあと恐れ入ってしまう。

これはまあ、好みみたいなものだから、というより好みそのものなので、宮川最高!とか鍋島の技巧には畏れ入るとなってもぜんぜんかまわないわけですな。

そんでまあ、そのよくわかっていないわしが、生徒に教えないといけないので、生徒も気の毒。さらに気の毒なのは、わしが絵が描けないということ。一応、絵付けを教えるカリキュラムはあるけれど、わしはゴスだのベンガラだのの扱い方は教えるけど、絵は教えられない。それどころか、生徒に、

「ぼくは絵がかけません。だから、絵については、ぼくに聞かないでください。絵のことが聞きたかったら、スタッフはみな美大とか出てるから、そっちに聞け!」とか完全に開き直り。

こうなったのも、わしは左利きで、小学生の頃、習字の時間が大嫌いだった。左で習字はできませんなあ。子供心に、わしの書いた字は情けないなあとか思っていた。当然、先生からほめられたことなんて一度もない。

それから、筆を使うことが嫌いになり、それが発展して絵を描くこともあんまり好きでなくなった。高校の時なんか美術の時間はたいてい逃亡して、マージャンとかしてたもん。悪い子でした。

そのつけが今、やってきていて、さらにそのつけが生徒に回されるのである。因果はめぐる。

こんなことではいけないと、ちょろちょろ練習したりしてるけど、左手で、やっぱり「きゃあ」とか言って放り出したくなる。

でも逃げないわ、まあそのうち、なんとかしよう。それまで果たして生徒さんたちは待っていてくれるだろうか。くれないだろうなあ。まあ、仕方ない。

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2008年2月 5日 (火)

雪の道

この土曜の夜から日曜にかけて、雪が降った。少し積もった。

日曜の朝、目覚めて外を見て驚いた。天気予報、たまにはあたるんだ。雪降ってるよと感心した。

教室に行かねばならない。さすがに車では行けない。ノーマルタイヤだし。FFでも4WDでもないし。すると、バス停まで歩くので、長靴を久しぶりにだしてみた。ものすごいホコリがたまっていた。

長靴をはき、バス停まで三ッ池公園の脇を歩いていく。雪はまだ降り続き、少し重い雪なので傘をさしている。長靴の先から、冷気が足先に伝わってくる。そうだ、この感触。忘れていたけど、学生時代、北海道で何度も感じたこの感触。ゴム底の長靴は、冷たいのです。それが嫌なら、靴下を2枚はかねばならないんです。忘れていた。

三ッ池公園を見ると、森の中を雪が舞っている。けれど、音はしない。長靴で雪を踏みしめる音だけが聞こえる。雪が積もると、音は反射しなくて、雪に吸収されるので、ものすごく静かになるのです。

学生時代。長靴をはいて、靴下を2重にして、冬の北海道を毎年旅した。寒くて、寒くて、でもあまりつらいとは思わなかった。冬場はバスも走ってないことが多く、ずいぶん歩いた。

夜は、無人のバス停(寒いので小屋になっている)や無人駅に泊まった。金がないので、高い寝袋は買えなかったので、夏用の寝袋を2枚重ねで寝た。朝方、零下25度より下がるとさすがに寒くて、起き上がって足踏みをずっとしていて、夜明けを待っていた。

食事は、ガスバーナーでお湯を沸かし、ラーメンや雑煮を作って食べていた。零下15度より下がると、冬用の携帯ブタンガスでも温度が上がらなく、60度くらいのお湯しかできなくて、ぼそぼそのラーメンを食っていた。

サロベツ原野では、吹雪にまかれて死にそうになった。本当に1メートル先が見えない。どこからどこまでが道路かわからない。

サロマ湖だったかな。そこでは大きな木の下で夜休んだ。見上げると、満天の星が木になっているようで、たとえようもなく美しかった。

そんなことを思い出しながら、バス停まで歩き、バスに乗った。チェーンをはめたバスはがたごと動く。そうそう、この感じ。でも、道が凍結していないので、わりとスムースだ。北海道なら、道が凍結して、えらいゆれる。

外を見ると、人も家もみな寒そうだ。そうだ、でもわしは冬のこういう景色が一番好きなのだ。やはり一番好きな季節は冬だなあ。

これを書いているのは、火曜の早朝。さみしいことに雪はほとんど消えてしまっている。でも道は凍結しているので、朝、車を使えるかなあと考えながら、ちょっと外に確かめに行くかな。

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