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2007年9月30日 (日)

暇あり

わしはいま、大変ひまだ。

10月5日の金曜日から、7日の日曜日まで、わしが教えている「かながわ社会保険センター」で文化祭というのをやる。ここは陶芸だけでなく、それこそいろんな講座があるが、その発表会みたいなもんですね。

それで、そこに出して展示する生徒さんの作品を焼かねばならん。今日あたりに2窯焼いておかねば間に合わない。

そこで、昨日一窯詰めて、還元焼成のために今朝やってきた。朝の7時につきました。当然誰もおらん。というか、ここは第5日曜日は休館日で、建物自体が開いていない。

幸いというか、不幸というか、窯は別の小屋にあり、ここは出入りできる。そこでやってきて、ガスに火をつけ、還元を始めたのだが、雨だ。

焼成には関係ないけど、ほぼ何にもできない。コテとか道具でも作るかと思っていたが、雨で外で作業はできん。小屋の中は、還元で一酸化炭素のにおいがして、長い時間はおれない。建物が開いていれば、中に入って土でもさわれるが、それもできん。むう。

新聞はもう読んでしまった。わしのケータイは、ワンセグのテレビが見れるので、さっきまで仮面ライダー電王を見ていた。それも終わって、さすがにプリキュアは見る気がしない。

それなら、こうやってパソコン車の中でパソコンでもやってれば良いと思うが、バッテリーがあと55分で切れる。むう。したがって、これを書いたら、まもなくさらに暇になる。

仮面ライダーの話でも書くか。実は、これけっこう面白い。毎週、欠かさず見ております。最近は仮面ライダーは1年ごとに、新しいシリーズをやっている。去年は仮面ライダーカブトというやつで、主人公はものすごい俺様だったが、今年は正反対。まったく自信なく、運がない情けない少年が主人公。

その少年が、時間の運行を守るために、まあ怪人と戦うわけだ。今年は時間がテーマになっている。それはそれで面白いが、主人公の電王とともに戦う、仮面ライダーゼロノスというのがいて、これが実に切ない。

桜井君というのが、ゼロノスに変身するためには、カードがいる。このカードは限りがある。カードを使うたびに、あるものを消費していくのだ。先週、いったんはカードを使い切ってしまった。

そのあるものとは、人々の記憶。カードを使うたびに、人々から桜井君に関する記憶が消えていくのだ。戦って、今の平和を守れば守るほど、人々から忘れ去られていくのだ。

桜井君が、どれだけ大切に思って、守っても、その守られた人は桜井君を忘れていくのだ。こんな切ない話があるだろうか。桜井君は、ものすごく偉い。

しかし、こんなに桜井君をほめちぎっているということは、わしは本当に暇なんだな。と言っている内に、バッテリーは残り45分になった。やはり、物事にはすべて限りがあるのだ。切ないなあ。

先日、義父の墓参りに行った。墓は相模原にあり、けっこう遠い。その帰り、道がけっこう混んでいて、助手席に座っている女房様は、ひまでひまで、道ばたの看板やらお店に難癖つけて遊んでいた。

ついには、ある家具屋の看板(ニトリ)を見つけて、「ホームファッション ニワトリ」とか言って、一人でゲタゲタ笑っていた。横で寝られるより良いでしょう?と強圧的に聞いてくるので、そうですね。まったく助かりますと答える。

わしも、その時、笑ったが、どうもわしの今の状態は、ホームファッションニワトリ以下の様な気がする。ニトリの人、本当にすみません。でも、しゃれで、ニトリの隣にニワトリというなんかよくわからないお店をつくったら、ものすごいインパクトあると思います。本当に暇だな。残り38分。活動限界が近づいてきました。

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2007年9月21日 (金)

忘却とは忘れること

わしはよく忘れる。片っ端から忘れる。これでもかと忘れる。

教室が4つあって、それぞれに「あれがないこれがないあれ買ってこれ買って。」と言われると、たいがいほいほいと安請け合いをするが、みな忘れる。

生徒さんに、ああいうものが作りたいと言われ、それじゃあ、こういう土が最適だから、来週持ってくると言っていたら、やはりこれも忘れる。

昨日も、二子新地の教室で約束していた五斗蒔土の赤を持っていくのを忘れていた。さいわいにも、その約束した生徒さん自身がお休みだったので、わしのもの忘れは露見せずにすんだ。

実は、これではいかんと思い、1週間ほど前に、100円ショップに行ったときに、ノートを買った。そのノートに全部書いていこうとしたのだ。それで、順調にそのノートに、持って行かねばならないものとか、やらなければならないことを書きまくり、こりゃあいいぞと思って、よろこんでいたら、そのノートをどこにおいたかわからない。

もともと、メモだとかだと間違いなくなくす。自慢じゃないが、これはなくなる。そこで少し大きめのノートにしたのだ。ノートだったら、なくさないだろうと、これがなくなるんですねえ。不思議だ。どこにノートおいたんだろう?さっぱりわからない。

例えば、窯仕事をしていて、ああそうだった、あれを今やっておかねばと思って教室に行く。教室に来て、手袋をとって、やろうと思っていることをやりに、歩いていると、生徒に呼び止められる。「これ、どうしたらいいんですか?」それに答えていると、もう何をしに来たか忘れている。

「わしはいったい何をしに来たんでしょう?」と生徒さんに聞くと、たいていは、もとの場所に戻れば思い出すとか言われ、とりあえず窯の前に戻ってみる。そこで思い出せばよいし、思い出さなければ、まあきっと大事なことではないんだなと決めつけて、とりあえずなかったことにする。

そこで、じゃあ窯仕事再開するかと思うと、今度は手袋がない!さっき、ぬいでどこかにおいたのだが、それがどこかわからない。むう。

こんなことで良いのであろうか?良いわけはない。そこで、うちのスタッフには、わしへのt連絡は極力、携帯メールでもらうようにしている。これだと、携帯さえ持っていれば、いくらでも後から確認できるから安心だ。

今のところ、携帯はなくしたことない。これをなくすようになれば、わしもそろそろ終わりであろう。しかし、ノートはどこに行ったのかなあ?

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2007年9月18日 (火)

さらばネコよ

ネコが行ってしまった。先週の土曜日、貰い手がついてしまった。

まるで残念かのような書き方だが、ぜんぜんそんなことはない。

残念なのは、うちの犬であろう。ツナヨシという、うちの犬は、なぜかネコが好きで、この子猫がえらく気に入り、部屋でネコがうろちょろしていると、自分の足の間におさめて、ぺろぺろなめてあげていた。

ネコがまたどっかに行こうとすると、やさしく耳とか首のあたりをかんで、自分の方にひっぱりまたぺろぺろ。

ひどいときは、ネコはもうべちょべちょ。

ネコが部屋の隅っこあたりに潜んでいると、「ツナヨシ!ネコは?ネコはどこ?」と言うと捜すのである。ネコはどこだろうと。

土曜日に、ネコが貰われていくと、ツナヨシは玄関でしばらく待っていたらしい。ネコがいないのがわかったのか。玄関で待っていたのだ。

さらに、部屋にいると、時々ネコを捜すのだ。ネコがよく隠れていた椅子の下とか、部屋の隅っこのカーテンの陰とか、鼻をつっこんでくんくんやっている。ううむ。なんか気の毒。

しかし、お前に必要なのは、ネコではなく、どちらかというと同じ犬の嫁はんなんだけどなあ。

子供ができたら、是非欲しいと言う人が何人かいる。そろそろ、嫁を捜してやった方がいいかなあ。

Image176 ネコの貰い手がなかなかつかなかったので、このブログでもかわいい写真を載せまくり、貰い手を捜してやろうと思っていた。何枚か写真をとったが、この写真など、見た人すべてが「きゃわいい」と叫ぶキラーピクチャーであった。

貰い手がついたので、もう必要ないのだが、せっかくなので載せてやれ。

ということで、ネコよさらばなのだった。

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2007年9月11日 (火)

なんかまた猫がきた2

なんか、やはり猫だの犬だの書くと、ブログのアクセスが増える。

以前、何かで読んだか聞いたかしたことあるけれど、あるベテランの俳優は犬だの猫だの子供だのとの共演をいやがったという。いくら熱演、好演をしても、犬がワン、猫がにゃあ、子供がちょろちょろする方が、よっぽど客に受けるからだそうだ。

わしが、いくら陶芸のことを書いても、やはり猫のにゃあには勝てないのである。しかし、わしは別に熱演、好演するつもりはさらさらないので、ぜんぜん構わない。

それどころか、さらにわしは、猫のにゃあに乗っかるために、「2」まで翌日に書いている。さらにさらに写真など載せたら、またアクセスが増えるかもしれないので、載せてやろう。

そんなにアクセス増やして、どうするんだというかもしれないけど、別にどうもしない。増えたら、「あっ増えた。」それだけのことだ。

ということで、猫写真

Dsc02874

とりあえず、膝に乗るまでにはなってくれたらしい。

さらに猫写真2

Dsc02875

最初は手をかまれるので、手袋をしていた。本来は窯だしをするときに使う皮てぶくろを調べるねこ。

このネコ、名前はまだない。というかつけていない。なぜうちに来たのかというのは昨日ぜんぜん書いてないことにあとから気づいた。

一昨日、教室の近くで、うちのスタッフが見つけたのだ。へたれて、どっちかというと、死にそうな感じなので、うちの女房様が、こりゃいかんと動物病院に連れて行き、点滴を打って貰ったということだ。

風邪をひいて、脱水症状だったとのこと。現在はかなり回復して、やっと餌も食ってくれるようになった。

しかしまあ、昨日書いたように、うちの女房様はネコアレルギーなので、長くは飼えない。そこで、名前もつけずにもらい手を待っているのだ。便宜上、仕方なしに「ネコ」と呼んでいる。なんか、一昨日このネコを見つけたスタッフは、「白信楽」という粘土の箱に入れたので、「白信楽」と呼んでいたらしいが、それはあんまりだ。

しかしまあ、いつまでも名無しは気の毒なので、早くいい貰い手がついてくれないかなあと思いながら、これを書いている。足下のカゴ(白信楽の箱から、ネコ用のゲージに昇格しました。以前いたティガーが使っていたカゴ)の中で、ネコはママを呼ぶ。にゃうにゃうと呼ぶ。

そのたびに、どうしましたかとわしが覗くと、「ふごー」とすごむ。おまえはのだめか。

なかなかかわいいやつですよ。

ああ、それから、このブログを読んで、こりゃあいいと、たくさん生まれた子猫など、うちの教室の前に置いていったりしないでください。お願いします。おしまい。

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2007年9月 9日 (日)

なんかまた猫がきた

日曜で9月になっても暑いなあ。ひいひいぜいぜいと家に帰り、そういえば、あれやらなきゃとパソコンを立ち上げてカチャカチャやってたら、女房様がお帰りになった。

手に箱を、もともと粘土が入っていた箱を抱えている。中には、猫がいた。子猫。三毛猫。にゃあ。

今を去ること、4年ほど前かな、3年前かな、よく覚えてない。わしが中華街の教室の仕事を終えて、さあ帰ろうと、窯小屋を締めに行くと、なんか違和感があり、ううん?と思って棚の下を覗くと、猫がいた。とら猫。子猫。

みなかったことにはできないので、仕方ないので、やはり粘土が入っていた箱にそれを入れ、家に持って帰った。

箱を担いで帰ると、それなに?へびが入ってる。やだやだ的な会話があり、中を見せると猫が入っていたので女房様はおおよろこび。とら猫なので、ティガーと名付け、かわいがっていた。なんかトラ猫だが、色が少しグレーがかっていて、ただのとら猫に見えず、わしは元町山猫と呼んでいた。

そのティガーは、雄で、去勢しなかったせいか、1年ほどうちにいると、どこかに出かけてしまい、帰ってこなくなった。

まあ、話はよれたが、とにかく、その時とは反対の状況ではあるが、とりあえず猫がまたやってきた。

仕方ないなあ。また猫か。犬もいるけど。

以前飼っていた猫のティガーが家から逃げ出し、何日かした頃、女房様が道ばたでティガーを見つけた。女房様は、「ティガー!ティガー!」とやさしく呼んだらしい、したら、猫は何を考えたか、脱兎のごとく逃げ出したという。

女房様は大激怒。恩知らずもはなはだしいと怒りまくり、今度は犬だ。犬なら、こんな恩知らずなことはしないと言い出した。

わしは、まだ猫が帰ってくるかもしれないので、もうしばらく待ったらどうだといさめたが、女房様の怒りが解けないので、しかたなくホームセンターに犬を見に行った。

なんというタイミング。そこのホームセンターの近くで、ワンニャン王国たらやっていて、対抗上、そこではえらい割引をしている。うちの犬はセールだったのだ。

そんで、家にその犬を連れて帰った、その夜。帰ってきたのですね。猫が。なんとまあ間の悪い。

犬はまだ当然子犬なので、猫にも 「あそぼ!あそぼ!」とやってくる。猫はもう迷惑千万みたいな顔していた。

当然のように、翌日ティガーは再び姿を消した。元気でいるのでしょうか?

その後、女房様は猫アレルギーであることが判明。どうりで猫がいるとき、体調が悪そうだった。

それでまた猫が来たわけだけど、どうすんだろう。猫はわしの足下の箱の中で、あちこち威嚇しまくっている。まあ、慣れるまでこうだわな。

というように、本当に陶芸と関係あるのは、猫が入っている箱が粘土の箱というそれだけのお話であった。おしまい。

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2007年9月 1日 (土)

焼きチキンのすすめ

焼きチキンというのは、鳥を焼いたものではありません。チキンラーメンのやきそばのことです。

単にチキンラーメンをやきそばのように作るのではありません。「焼チキン」として売られているのです。知っていましたか?CMとかやらないのかしら。

1週間ほど前、仕事帰りに女房様から買い物を頼まれ、スーパーに行った。したら、そこに「焼チキン」が!わしの目は、「焼チキン」に釘付け。何はともあれ、買わなければと、5個パックを買いました。安かった。えらい安かった。

その日、女房様は夜、教室の人たちとおいしいとうわさの焼鳥屋さんに行く予定だったが、風邪を引いて断念していた。すごくくやしいらしい。しかも、具合が悪いので何も食べずに伏せっていた。

家に帰ってしばらくすると、女房様が腹が減ったと言い出した。それなら、わしが焼チキンをつくってやる。とりが食えなかったのだから丁度良い。実は、わしが焼チキンに興味津々だった。たぶん、風邪を引いている人に、焼チキンはいかがなものかと思うが、もう作りたくてしょうがない。

わしも食うつもりで、2袋いっぺんに作った。焼チキンと大きく書かれた袋を開けてみると、チキンラーメンが出てきた。当たり前のようだが、本当にチキンラーメンそのもの。これをフライパンに水を引いて、ちりちりと音がするまで、ほぐして炒めよと書いてある。

レシピ通りに、最初にごま油で炒り卵を作り、そこに水を足す。水が沸騰したら、焼チキンを入れ、ほぐしていく。すぐできた。

したら、あなた。女房様は、口を付けてすぐに、「もういいかも」と言ってまた寝てしまった。

わしも、「むう」と言ったきり。

フライパンにはまだ焼チキンが残っているのに・・

明くる朝、当然女房様は起きれず、腹の減ったわしは、フライパンに入った焼チキンを食ってみた。「むう むう むう むう」

もう二度と買わないだろうと思った。きゅうりコーラが想記される。

一昨日、わしは決算で忙しく、一日中家にいた。したら、当然腹が減る。もう何でもいいから食いたくなり、焼チキンしかないので、仕方なくまた作る。

今度は、少しごま油を多めに、しかも水を少な目に作る。しかし、これ、「焼チキン」として作ったのではなく、ただのチキンラーメンのパッケージを変えただけではないのか?という疑問がはげしく起こる。

それで食ったら、けっこう食える。おお!少な目の水がよかった。感動。でもそんなにうまくはないよ。これは空腹のせいか、それとも焼チキンに慣れたのか・・

今度、ただのチキンラーメンを焼チキンにして、ぜひ比較してみようと決心した。

陶芸と無理矢理関係づけようとするならば、チキンラーメン専用の丼を、是非作ろう。しかし、焼チキン用皿というのは不要だなあと、どうでもいい感じで思った。どうでもよくおしまい。

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